「情けは人のためならず」は究極の利他精神である。


義理人情は、サムライ魂に通じる発想だと考えているので、これについてのべます。

この「情けは人のためならず」は「誰かに情を掛けることは,その人のためにならない」という誤った解釈をされることがあります。

実際平成22年に文化庁の行った、全国の16歳以上の男女を対象にした「国語に関する世論調査」でも(ア) 人に情けを掛けておくと,巡り巡って結局は自分のためになる45.8%、(イ) 人に情けを掛けて助けてやることは,結局はその人のためにならない45.7%とほぼ1対1の回答結果が出ている程です。

本来は,人に思いやりを掛けておけば,結果として,いつか自分にも良い報いが訪れる、という正しい意味を聞いた経験があると思います。

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かくいう自分も、この正しい意味を聞いた時、「えっ、そうなの?」と面食らった記憶があります。

ただ、正しいと言う意味を説明されてもなぜかしっくりこない感覚がずーっとありました。

 

その理由は、この正しい意味の発想が、自利に基づくからだ、その後何十年たって漸く気づきました。

 

そう、この「結果として,いつか自分にも・・・」この言葉が、自利のための利他、情けは自分のためにする・・・。

 

どうもしっくりこないのです。

 

何十年か後に、忘己利他(もうこりた)、己を利益を忘れ、他人の利益を追求する、この自利の発想を無くして、人に思いやりをかけ続けていれば、万が一自分がおなじような状況になった時に、人に思いやりをかけられる立場になることもある・・・というふうに考えた時、初めてこの諺の意味を理解できた気がしました。

そう、だから今は、「情けは人のためならず」は究極の利他精神であると考えています。